昨日はいつもの時間に家を出たものの、出勤できなかったので、駅のベンチで休んだり、駅前のマックで食いたくもないホットケーキを食べてから帰宅した。
ドアを開けると、妻は、「は?なに帰ってきてんの?」と慌てた様子で誰かに外で電話をかけ始めた。
夏休みに入ったばかりの息子は我関せず、という顔をしている。
妻によくよく話を聞くと、始めは黙っていたけれど、ついに白状した。不動産屋がうちのマンションの査定に来るはずだったらしい。俺に内緒というのは、要するに、そういうことだ。いざ行動を起こした時に物件の価値を知っていた方が良いだろう、と考えたようだ。
やれやれ。
妻はしきりに俺に実家に帰った方がストレスが少ないだろう、と言う。その方が仕事にも行けるようになるんじゃないか、と。俺を心配しているのではなく、体よく俺をこのうちから追い出したいのだ。
二匹の猫が俺に擦り寄ってくる。猫たちを撫でながら、俺はどこで人生を間違えたのだろう、と考えた。妻と別れたら、息子と話せなくなり、猫たちにも会えず、下手をしたらうちを追い出され、養育費を払い、出勤できない状態が続けば、それすら払えなくなり、まさに人生終了、というわけだ。
なんて素晴らしい人生なんだろう。
それもこれもすべて、俺が自分で招いたことなのだ。俺にすべて責任がある。
生きるとは、責任なのだ。どれだけ責任を果たせるか、ということだ。俺は何の責任も果たせず死んでいくことになるだろう。